吉本せいの歴史
正和吉本の歴史の前に、吉本興業の百五年の元祖「吉本せい」の歴史をご紹介致します。
NHK連続テレビ小説「わろてんか」として放送もされ、今やお茶の間に笑いを起こさない日が無い吉本興業。
その吉本興業を作った「吉本せい」の歴史を時系列で紹介しています。
明治22年(1889年)
1
12月5日、兵庫県明石市の林家にて
父・豊次郎と母・ちよの三女として誕生。
明治43年(1910年)
2
大阪・荒物問屋「箸吉」の次男、
吉本吉兵衛(後に泰三と改名)と結婚。
明治45年(1912年)
3
天満八軒のひとつ「第二文芸館」を買収、
寄席経営に乗り出す。
大正10年(1921年)
6
1月、桂春団治が吉本の専属として
初席の高座に上がる。2月、興行主となり
「吉本花月連」と名乗る。
大正6年(1917年)
5
せいの実弟・林正之助が19歳で
総支配人として入部。
大正2年(1913年)
4
1月、大阪南区笠屋町に「吉本興業部」
を設立。翌年に掛けて次々と寄席を買収、
チェーン化する。
大正13年(1924年)
7
2月13日、夫・泰三(39歳)が死去。
正之助が指揮を執り始める。
昭和3年(1928年)
8
勅定紺綬褒章を受賞。
萬歳が人気を集め始める。
昭和7年(1932年)
9
3月1日、吉本興業部を
「吉本興業合名会社」に改組。
せいは主宰者に就任。
昭和18年(1943年)
12
2月13日、類焼した通天閣を解体、
軍需資材として大阪府に寄贈。
昭和13年(1938年)
11
9月27日、通天閣を31万円で買収。
昭和9年(1934年)
10
2月11日,節婦として大阪府から
表彰される。
昭和20年(1945年)
13
空襲で多くの寄席や劇場を失う。
昭和22年(1947年)
次男・穎右が闘病の末、死去。
昭和23年(1948年)
14
1月7日、「吉本興業株式会社」に改組。
昭和25年(1950年)
15
3月14日、肺結核により死去。
享年60歳。
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吉本家 家系図
吉本泰三とせい。吉本興業に入った2人の弟などの吉本家の家系図から
正和吉本 現社長 吉本 公一までの流れを紹介しています。
株式会社 正和吉本
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